紅白に2度出演した人気歌手Xとは克美しげる?家族(妻や娘)の存在や晩年は?│爆報フライデー

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今日9月18日方放送の爆報!THEフライデーでは実録!恐怖のミステリー事件簿と題して禁断の芸能界ミステリーにスポットが当たります。

放送内容は

禁断の芸能界ミステリー
 ▽羽田空港に駐車中の車のトランクから女性の遺体が発見… ▽車の持ち主はなんと紅白にも2度出演した人気歌手X! ▽遺体の女性は一体誰?なぜ歌手Xの車から死体が?

この紅白にも2度出場したことのある人気歌手Xさんとは一体誰で、トランクから出て来た女性とは一体誰なのでしょうか、調査してみました。

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紅白に2度出演した人気歌手Xとは克美しげる?

この人気歌手Xとは克美しげるさんです。

そして、克美さんが手に掛けていた相手は愛人のホステスです。

一体なぜこのようなことをしでかしたのでしょうか、以下の項目にまとめてみました。

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克美しげるはホステスの愛人を手にかけていた…事件の概要

克美しげるさんはジョン・レイトンのヒット曲『霧の中のジョニー』の日本語カバーでレコードデビューし、40万枚のヒットとなりました。

1963年にはテレビアニメ『エイトマン』の同名主題歌を歌い、1964年には『さすらい』が60万枚のヒット、2年連続でNHK紅白歌合戦に出場する程の人気ぶりでした。

しかし、その後は人気が低迷、その低迷期からなんとか脱却しようと音楽関係者への接待を続け借金を膨らませます。

そしてその借金返済をするために愛人ホステスに貢がせていたというのです。

マリコという源氏名で銀座の高級クラブのNO.1ホステスだった岡田裕子という女性と出会ってから1ヶ月で2人は同棲生活を始めます。

なんと克美さんは当時妻子持ちでありながら嫁とは別れたと嘘をついて岡田さんと付き合って、貢がせていました。

克美さんはこれに味をしめて岡田さんの稼いで来るお金で豪遊、借金を作っては岡田さんにお金を貰って返済という生活をしていました。

そうするうちにホステスだけの収入だけでは克美さんに貢げなくなってしまい、岡田さんは風俗で働いてまでお金を作っていました。

最終的に岡田さんが克美さんに貢いだ金額は3500万円(当時の金額で)といわれます。

さらに克美さんは妻子ある身を隠し、岡田さんの実家がある岡山を訪れ、岡田さんの両親に「娘さんと結婚したい」と告げ、親戚・友人らを招いて岡田さんとの偽装結婚式も挙げています。

しかし、そんな偽りの生活は長く続きませんでした。

1975年、低迷期からの脱却を図るべく、東芝レコードが克美のカムバック企画“3000万円作戦”を実施。

芸名表記も「克美茂」に改めて『傷』という曲で再デビューを果たします。

この時克美さんの脳裏には、岡田さんとの不倫が世間にバレてスキャンダルになったらどうしよう…再ブレイクへの妨げとなってしまう…こんな風に思ったのか克美さんは岡田さんの元を離れ再び妻子の元へ戻ります。

この一件がきっかけとなり、克美さんに妻子がいたこと、嫁とは別れていなかったことが岡田さんの知るところとなります。

当然岡田さんは激怒、「マスコミに全て話してやる」と言って克美さんを責めたといいます。

この時誠心誠意を持って対応していれば克美さんの人生は変わったかもしれませんが…その後、1976年5月6日、克美さんは岡田さんを手に掛けます。

知人が所有する自動車を借り、トランクに岡田さんの遺体を隠したまま羽田空港の駐車場に駐車、北海道へ新曲披露のためのキャンペーンに出発。

5月8日に遺体が発見され、車の所有者から割り出された克美さんは逮捕。

8月23日、東京地方裁判所にて懲役10年の実刑判決を受け服役となります。

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克美しげるのプロフィール経歴

名前:克美 しげる(かつみ しげる)
本名:津村 誠也(つむら せいや)
生年月日:1937年12月25日
没年:2013年2月27日(享年75)
出身地:宮崎県宮崎市
出身校:宮崎県立宮崎大宮高等学校卒業
  • 1956年、宮崎県立宮崎大宮高等学校在学中に、仲間と音楽グループを結成
  • 大阪へ行きジャズ喫茶で歌っていた水原弘の付き人を志願
  • 付き人採用には至らなかったが、水原から有名なバンドリーダーを紹介されるなど、両者の親交は長く続いた
  • 高校卒業後、神戸に転居
  • 関西で活動していた“マウンテン・ボーイズ”にバンドボーイとして採用され、その1年後には同バンドで最年少ながら、自ら名乗った芸名・勝己しげるでボーカルを担当、人気を博した
  • 1960年、NHK(大阪)が主催したオーディションに合格
  • 1961年、芸名を「克美しげる」に改め、同じく改名したバンド “ロック・メッセンジャーズ”と共に東京進出
  • ジャズ喫茶でのステージにて東芝レコードのディレクターからスカウトを受け、ジョン・レイトンのヒット曲『霧の中のジョニー』の日本語カバーでレコードデビュー
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家族(妻や娘)の存在や晩年は?

克美さんは4回もの結婚をしています。

子供さんは娘さんがいらっしゃるとしていますが、今のところ情報はありません。

また、愛人を手に掛けた罪で服役し、1983年10月に大阪刑務所から仮出所後は元マネージャー・大谷羊太郎(推理作家)の助けにより音楽事務所を開いた後に再婚。

カラオケ教室も設立し、自ら指導、大変盛況だったようで、岡田さんの御両親へ賠償金も払えていたのに、今度は1989年5月11日、覚醒剤取締法違反(不法所持)で逮捕、懲役8ヵ月の実刑判決を受けてしまいます。

薬物に手を出した理由を、岡田さんの事件から重く圧し掛かる世間の目や声が怖くて、知人から「なにも怖くなくなるし、なにもかんがえなくて済むようになる」こう勧められつい手を出してしまったんだそう。

そして1996年、31歳年下の夫人と4度目の結婚。

その後は心臓病・脳梗塞・顔面麻痺などの疾病に相次いで襲われます。

後に体調は回復、2000年代に入るとテレビ番組などのメディアにも出演するようになった克美さん。

2007年12月に出版された『蘇る封印歌謡 いったい歌は誰のものなのか』(三才ブックス)の付録CDで、新録音『さすらい』『おもいやり』『エイトマン』を収録。

晩年は芸能界への未練を口にしながらも、「あんな事件を起こし、今さら封印を解いてくれ…、解いてもいいですかなんて、僕から言うことなんかできません」と語っています。

克美さんは2013年10月2日、同年2月27日に脳出血により75歳の波瀾に満ちた人生に幕を下ろしました。

 

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