1993年世間を震撼させた埼玉愛犬家連続殺人事件。
この度フジテレビにてこの事件を基にした実録ドラマが放送されます。

この事件で逮捕され死刑囚となったのは関根元(げん)元死刑囚と風間博子死刑囚です。
今回の記事ではこの関根元死刑囚がどのような人物であったのか調査してみました!
関根元(げん)死刑囚の生い立ち…プロフィール経歴
関根元 埼玉愛犬家連続殺人事件 1993年4月~8月 会社役員の男性に犬の薬殺用の猛毒カプセルを飲ませ殺害。その他に暴力幹部と運転手、更に犬の売買でトラブルがあった主婦を殺害。死者4名。 17年3/27、病死。75歳没。 pic.twitter.com/yBFGrVa6rk
— 執行済み・獄中死した死刑囚bot (@sikei_syu_bot2) September 4, 2020
生年月日:1942年1月2日
出身地:埼玉県秩父
- 事件の主犯格
- 父親は下駄の製造や販売をする店を経営
- 小さな頃から嘘つき「ホラ元」というあだ名も
- 中学を卒業後、高校へは行かずラーメン屋に就職
- ペットや猛獣の扱いにかけては天才的
- シベリアン・ハスキーブームの仕掛け役
- アラスカン・マラミュートの第一人者とまで言われた、業界の有名人
- 暴力団の金に手をつけたことで左手の小指を詰めている
最初の結婚は19歳の頃。この女性とは3人の子をもうける。その後結婚と離婚を繰り返す
最初の妻との間には3人の子供がいたにも関わらず、別の女性と浮気し離婚。
さらに別の女性とアパートで同棲を始めるもこれも長くは続かず、浮気。その後は結婚と離婚を繰り返し、関根の女癖の悪さを表すエピソードに最初の妻との間に出来た娘の同級生とも関係を持っていたという話すらあります。
関根と共に逮捕された風間死刑囚は実に7回目の結婚をした相手となります。
1982年「アフリカケンネル」を開業
すでに1970年代頃より、ライオンを飼い始めていた関根は当時の妻と一緒にTV出演もしています。1975年には秩父でペットショップ兼動物リース業を営んでいたそう。
そのころから悪質な商売をしていたようで、付き合いがあった暴力団関係者とのトラブルが元で一時秩父を離れて、再び埼玉県熊谷市で関根が逮捕されるきっかけとなった事件の舞台「アフリカケンネル」を開業することとなります。
詐欺的な商売を繰り返しトラブルが絶えなかった
関根はブリーダーとしての腕は確かなようで、アラスカン・マラミュートのブリーダーとして名が知られていたようです。
また口が上手く、人心掌握するのも得意だったといいます。
これが良い方向にいっていればよかったのですが、関根はアフリカケンネルで詐欺まがいの商売を行っていました。
その代表的な例として
- 「子犬が産まれたら高値で引き取る」とうたい、犬のつがいを法外な価格で販売し、子犬が店に持ち込まれると、難癖を付けて値切る
- 顧客に販売した犬をこっそり忍び込んで盗み別の客に売る
- 顧客の犬を殺して、また新たな犬を買わせる
などなど普通とは思えないことをやっていたといいます。
当然、関根の周りではトラブルが絶えず…しかしトラブルを起こした相手が何故か行方不明になり…というところから事件が発覚していきます。
風間博子との出会い
1983年関根が経営していたアフリカケンネルを訪ねた所から2人の縁は始まります。
その後意気投合した2人は結婚。関根にとっては7度目の結婚、風間にとっては2度目の結婚となります。
風間の実家が資産家であったことから関根が財産目当てに結婚したとも言われていますが、風間のブリーダーとしての才能を見抜き、金銭管理能力の高さには関根も一目置いていたといいます。
しかしお互いに愛人がいたり、関根が風間やその連れ後に暴力を振るうなどはあったようで、さらには事件発覚前に離婚もしており、逮捕後の公判では罪をなすりつけあい、目も合わさなかったそうです。
風間博子の生い立ちについてはこちら↓

被害者は30人以上か
埼玉愛犬家連続殺人事件は関根と風間が共謀し計4人の男女が犠牲になった事件です。
- 会社役員男性
- 暴力団員
- 暴力団の運転手
- 出資をした主婦(関根の愛人)
しかしこれだけではなく関根の周辺では不可解な失踪を遂げた男女が少なくとも3人はいるというのです。
- 秩父市の暴力団員失踪
- 秩父市のトラック運転手失踪
- 深谷市のスナック経営者失踪
これらはすべて関根の関係が濃厚と見られますが、目ぼしい物証が発見できず現在も未解決事件となっています。
更に、共犯者である山崎永幸の証言によると関根が
「殺しのオリンピックがあれば、俺は金メダル間違いなしだ。殺しのオリンピックは本物のオリンピックよりずっと面白い」
「そのうち、俺は殺しの世界で一番の男になりたいと思うようになった。人間なんでも一番にならなきゃ駄目だ。殺しにかけては俺がいまナンバーワン」
このように語っていたとしており、一説には被害者が30人以上いるのではないかと言われています。
また関根は殺人哲学として以下の5つをあげています。
- 世の中のためにならない奴を殺す
- すぐに足がつくため、保険金目的では殺さない
- 欲張りな奴を殺す
- 血は流さないことが重要
- 死体(ボディ)を透明にすることが一番大事
哲学とはいうものの、結局はトラブルになった相手など面倒になったからと身勝手な理由で残忍な手段に出ており、許されるようなことではありませんね。
関根元に家族(娘や息子)はいる?
競技「殺人」
日本代表 関根元選手#東京オリンピック pic.twitter.com/H0iwsmkLpm— I.T.K. intention to kill (@narco_satanist) March 24, 2020
関根元には最初の妻との間などに子供が生まれています。
ただ、サイコパスな一面もある犯罪者の身内であることは誰にも知られたくはないはずで、そのため子供たちの情報はどこにも出ていません。
しかし2014年に関根と風間の間に生まれた長女・希美さん(仮名・当時28才)が取材に応じています。
逮捕当時希美さんは小学校2年生。
「その時は逮捕ということがわからなくて、連れて行かれちゃうとだけ思ったんです。警察官は『お母さんは、すぐ帰ってくるから』と言うし、お母さんも『大丈夫だから』と言うけど、私だけ取り残されてしまうという事実がショックだった」
突如、両親を失った希美さんは、祖母と一緒に、東京の叔母のワンルームマンションで暮らすことになる。
「引っ越すことを学校の友達に伝えようとしても、電話に出た親が『いないわよ』と言ったり、『ちょっとごめんね』って切られたり。友達が電話に出ても、後ろから『切りなさい』という声が聞こえてきたりしました」
「小学校高学年になって、祖母が隠していた週刊誌を見てしまったんです。母が歌を歌いながら、亡くなったかたを切り刻んでいたっていうのを読んでしまって…それを信じてしまい、ああ、何も知りたくない、何もなかったことにしてしまいたい、と祈り続けていました」
すべてを忘れたい──そんな希美さんの気持ちとは裏腹に、世間はいつまでも事件のことを忘れなかった。中学に進むと、希美さんは重度の障がい者を介護するボランティアに出かける。
「世間話で『ずっとこっちに住んでるの?』って聞かれて、『いえ、埼玉です』と言うと、次は『どこ?』って聞かれて、『熊谷』って答えると、『熊谷って事件のあったとこだよね』って話になるんです。同じ風間姓だし、私は母に似てるので、もしかして? って話題になりますよね。それで、楽しかったボランティアにも行けなくなってしまいました」
「高校生の時、おつきあいを始めたかたに、母の話をしたんです。すると、『人間、一度罪を犯したら直らない。悪人は悪人のままだ』って。誰に話しても、私は受け容れてもらえないんだって、両親のことは一生隠して生きていかなきゃって思いましたね」
加害者家族というだけで何の罪もない子供が追い詰められていく…大変生々しい告白です。
両親の死刑判決が下った2001年、希美さんが15歳の頃。
そして2005年19歳になるころには控訴棄却で再び死刑判決を聞かされ、その度に涙したといいます。
それまで事件のこと、両親のことを封印しよう、忘れようと思っていた希美さんの心に変化が訪れる。成人となった希美さんに言った、叔母のひと言がきっかけだった。
「何があっても、お父さんがいたからこそ、あなたがいるんだよ」
その言葉が、希美さんの心を開いたのだ。
「産んでくれてありがとう、っていうお礼の手紙を書いたんです。すると、会いにきてほしい、って父は書いてきた。でも、逞しかったあの父が、変わり果てていたらどうしようって心配で、結局、行けませんでした」
希美さんは今に至るまで、父とは一切会っていない。
「数年後に母に面会に行った時に、父にお金を差し入れたんです。でも後日、東京拘置所の差し入れ係から電話があって、受け取り拒否ということでした。私が会いに行かなかったから、怒っていたのかもしれません。それからは交流はないです。父からの手紙には、『お母さんを帰してあげる』って言葉もあった。今となっては、意味は定かではないんですけど、父には事件の真相を、ちゃんと話してほしい。被害者のためにも、そうしてほしいと思います」
関根元のその後はどうなった?
関根元死刑囚は死刑判決後、東京拘置所に収容されていましたが2016年11月頃から体調を崩していたそうです。
心タンポナーデという病気を患っていたようで、病院での治療を続けていましたが、結局刑を執行されぬまま、2017年3月27日早朝、東京拘置所において病死しました。
75歳でした。
「アフリカケンネル」のその後は?
実は事件の現場となったアフリカケンネルは2020年現在も当時のままの姿を残しています。
アフリカケンネルについてはこちら↓の記事にまとめています。

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